そろそろバンプの「アンサー」の話をしよう。
ハナデルシルカモ!(呪文) ご機嫌いかがでしょうか。突然ですが皆さんは、最近のバンプの曲でしたらどれが好きですか? やっぱり「Hello, world!」? 「アリア」? バトゥフラィ? ライブバージョンが圧巻だった「流星群」? それともこの間の「リボン」……?
「リボン」良かったですよね! 過去の歌詞が散りばめられたりしていて、とてもグッと来るものがありました。
あ、ところで僕ですか? ちなみに僕は、「アンサー」です。
「アンサー」は、いわゆるバンプの「20周年イヤー」最後にリリースされた配信限定シングル。TVアニメ「3月のライオン」OPテーマとして書き下ろされた楽曲です。だけど現時点で、フルサイズのMVがやっと作られた程度*1だし、そもそも公式の歌詞がまだ発表されていない(「アリア」は配信と同時に歌詞も各サイトへ提供開始)。ネットに転がっている「アンサー」の歌詞は、現時点ですべてファンの聴き取りによるものです*2。また、「3月のライオン」EDテーマである「ファイター」がBUMP屈指の大名曲*3であることもあり、何とな~く、ファンの間でも、さらっと流れてしまった曲のような気がしています。
けれど、そんな「アンサー」は、実は「ファイター」に負けず劣らずの素晴らしい名曲です。個人的には、2016年リリースされたBUMPのどの曲よりも「アンサー」を推したいくらいなんです。
虹の辿り着いた場所――「アンサー」は2曲目の「ray」だ!
以前の記事で、BUMPの歌詞は「歌い出し」が素晴らしい!と書きました。そういう意味では、「アンサー」の歌い出しはそれほどインパクトがあるわけではありません。
<魔法の言葉 覚えてる 虹の始まったところ/あの時 世界の全てに 一瞬で色が付いた>
うーん、何の事だろう? という感じですね。
実はここのポイントは*4、<虹の始まったところ>です。虹は、藤原の歌詞でも比較的重要なモチーフになっているからです。
<虹を作ってた 一度 触れてみたかった>
「ハルジオン」で、虹は「決して触れられないもの」として描かれます。愚かであることが判っていても、大人になったとしても、すがるように繰り返し作っては、手を伸ばしてしまうもの――。また「arrows」では、果てしない旅路の最後……
<行きたい場所は全部廻った後で また会えたら/荷物の無い体ふたつで その弓を渡ろう/あんなに近い ずっと遠い あの雲にのぼろう>
と歌われました。ここでの虹は、最後の最後――ふたりの希望の大地へと橋を架ける、夢の存在として描かれています。……あっ! ちなみに虹の「rainbow」って「rain+bow」から――雨(rain)のあとにかかる弓(bow)って意味から由来しているんですよね。だからこの歌詞でいう「弓」って、つまり「虹」のことなんですよね。ご存知でしたか?
最近の曲だと、そのものズバリが「虹を待つ人」。
<同じ虹を待っている>
これもまた、いつか手にすることが出来るかもしれない希望としての虹が歌われています。ただこの曲の場合の虹は、自分以外の誰かとも一緒に、みんなで「せーの!」って感じで待っている、そういう、これまでよりもさらに大きな希望についての存在になっていますね。
……で、だ。そんな感じに古(いにしえ)からバンプでは、虹とは「触れられないけれども見える。いつかは手に入るかもしれない」「約束の場所へと連れて行ってくれる」「待っている」ような存在として描かれていたわけです。今回の「アンサー」では、1番ではその「夢・希望・約束」の始まりである、<虹の始まったところ>を回想するような歌詞からスタートしています。そして、2番では……
<魔法の言葉 覚えてる 虹の辿り着いたところ>
虹の辿り着いたところ!!
ここでの虹は、もう、夢みたいに見上げていたそれではない。約束の場所に想いを馳せるようなそれでもない。待ち続けていたそれでもない。虹を渡ったその先に、自分は既にたどり着いていて、つまりもうここはいつかの約束の場所で、もっと想像すれば……辿り着いた今ここから振り返れば、既に後ろの虹は消えてしまっているのかもしれない。
<想像つかない昨日を超えて/その延長の明日を抱えて/小さな肩 震える今 それでも笑った>
いろんなことが、こうして、気づけば辿り着いているものなのかもしれない。あんなにのぼりたいと願っていた虹に、もうのぼっていたことに、のぼり終えていたことに後から気が付くものだなんて――。
「アンサー」は、正にバンプが歩き続けながらも探していた場所に、辿り着いたような歌になっています。だからきっと、かつて<生きるのは最高だ>という言葉を引き出した「ray」のような、圧倒的な解放感に満ち溢れているんだと思います*5。それはもう、寂しさすら感じさせるほどに。もう虹に、夢を託せなくなったとして。いつか夢見たような、すべてが解決するような理想郷では、ここがなかったのだとして……。
「見えないもの」は、どうして見えないんだろう?
<気が付けばいつだって ひたすら何か探している>
「天体観測」で、藤原は<見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ>と歌いました。でも本当は、目に見えないものは望遠鏡にも写るわけないですよね。オイオイ、それじゃ歌詞じゃないって? 否、実はそこの線をしっかり引いているのが、作詞家・藤原基央のグッとくるポイントのひとつ。<見えないものを見ようとして>、この「見ようとして」というアクションの切実さ、こそが、この歌詞のキモになるエモーションなのです。描かれるのは「見ようとして」どうなりたいかじゃない。「見ようと」する、その行動そのものへの問いかけなのです。
「見ようとする」とは、「見つけよう」とするということ。言い換えれば「探す」ということ――<幸せの定義とか/哀しみの置き場とか>。それだけじゃない。バンプは20年間、色んなものを探し続けています。自分の居場所、その想いの正体、お別れしなければならなかった理由、この時間が掛け替えのないことである理由、嵐の中をどこまでも行かなければならない理由――。
「アンサー」では、これにも「答え」を出している。「見えないもの」は、どうして見えないんだろう? ならば「見えないもの」は、一体どこにあるんだろう?
<雲の向こうの銀河のように/どっかで無くした切符のように/生まれる前の歴史のように/君が持っているから>
雲の向こうにあるはずの銀河も、どこかで無くしてしまった大切な切符も、生まれる前から脈々と続いているはずの歴史も、望遠鏡には決して写らない。なぜならそれは、もうあなたがあなたの中に<持っているから>なんだ。「望遠鏡」とは「遠くをみる」ためのもの。自分の内側を覗けるものでは決してない。これを言い切るということは、実はとても大きな決断です。みのもんたに促されて、藤原は回答Aを選択したのです。ファイナルアンサー?
過去の曲で描いてきた「問いかけ」に、ひとつひとつ丁寧に答えを出そうとするような歌詞。ですが「リボン」と違い、直接的に過去の「どの曲」かを明言するような仕掛けはほとんどありません。言い換えれば「リボン」は、それだけバンプというバンドの歴史と密着して描かれている楽曲です。「アンサー」はそうではない。「アンサー」はもっと、バンドの外側――外の世界についての歌詞になっていると思えるのです。心の中の葛藤と、それでもいま目の前に広がる景色とで、必死に手を繋ごうとしているような、そんな歌詞……。
<鈍く残った痛みとか しまってしまった想いとか/滲んだって消えないもので 町は出来ている>
アンサー ~たとえ自分が“取るに足らない”としても
藤原基央が唄を唄い始めて、バンドが音を鳴らし始めて、そうして何十曲も積み重ねてきた「辿り着けない」「なぜ?」に、「アンサー」はひとつのゴールを与えています。
2番が終わって、高らかに奏でられる、雲の上まで届くようなギターソロ。バンドメンバー4人全員がジャーン、ジャーン、ジャッ、ジャッ、とかき鳴らしてからの、最後のサビ。僕はここが特に大好きです。恥ずかしい話、うっかり仕事場で口ずさんでいたら、ついハッとなって泣いてしまいました……。すごいアンサー。すごいアンサーが描かれているんですよ。もう……。
いきますよ!
<心臓が動いてることの/吸って吐いてが続くことの/心がずっと熱いことの/確かな理由が>
心臓が動く理由も、吸って吐いてが続く理由も、心がずっと熱い理由も、全てひとつしかない。なぜかって? 簡単ですよね。詩的な、かっこいい表現をするまでもない事実。それはあなたが、今「生きている」からだ。
「生きていたい」と思っていなくても、あなたは今、どうしようもなく「生きている」。たとえ、生きていたい理由がわからなくても、自分が取るに足らない人間だったとしても、世界から消えていいような存在だったとしても。たとえ自分が<砂漠の粒のひとつだろうと/消えていく雨のひとつだろうと>。それでもあなたは、<貰った 名も知らない花のように/今 目の前にあるから>!
とるに足らない花の一つでも、誰かから手渡されたなら、その「名も知らない花」は、間違いなく目の前にあるものになる。「花の名」という曲で、藤原はこう書いています――
<あなたが花なら 沢山のそれらと/変わりないのかもしれない>
けれど、
<迷わずひとつを 選んだ/あなただけに>
ここは解釈次第で変えてもいいんです。手渡してくれた「誰か」を、例えばあなたの大切な人にしてもいい。そしてもちろん、手渡してくれた「誰か」を、自分自身、ということにしたっていいのです。
あまりにも力強く、最後の歌詞が唄われます……。
<それだけ解ってる/僕だけ解ってる/だからもう 離れない/二度ともう 迷わない>
当たり前すぎること。当たり前すぎるが故に、時々受け入れられないこともあること。20年間、こんなことばっかり歌い続けてきたバンプ・オブ・チキンの、何だか集大成みたいな曲だとは思いませんか?
「A」
最後になるけれど、このジャケット……。
わかる? そう。ABCです。
「A」が欠け続けていたこのバンドに、ようやく「A」が揃ったというわけなのです。ま、「A」が欠けているからこそのバンプなんだけれど、20年間もやってきたんですし、たまにはこういう曲も、あってもいいんじゃないかな……(号泣)
それにしても、20年詩を書き続けていたら、こんなふうに「A」がつくこともあるだなんて……。バンドじゃなくてもいい。なにかを20年続けるって、悪いことではないのかもしれない。
探していたものを見つけたところで、バンドも人生も、相変わらず続いていくけどね!