21年目へ!BUMP OF CHICKENが「本当にすごい」3つの理由(仮)
はじめに~タイトルに「(仮)」をつけている理由
ええと、うん。まずね。記事タイトルに「カッコカリ」を付けたことには理由があるんだ。というのも、この記事の内容は筆者がずっと書きたかった内容で……。何しろバンプって、実は日本音楽界においてすっごい影響力と立ち位置にいるミュージシャンのはずなのに、私たちはどこかまだ彼らを「総括」できていない。音楽ライターがその都度だらだらインタビューを書き流しているだけで、「バンプが現れたことで、この日本に起きた影響って何なんだろうか」「バンプが未だに特別扱いされる理由は何だろうか」ということをしっかり考察している記事が、まだないような気がしていたのだ。
けれど私はいわゆる「信者」なのだ。さらに言うと、中の人はアラサーではあるけど初期のバンプにリアルタイムで触れてはいない人で、その頃の時代の空気については、後から調べたり、読んだり、辿ったりでしか見聞きしていない。なので、これから書いてある記事に誤解があったり、思い込みがあったり、見落としがあったり、間違いがあったりするのでは……と思っているのです。自信満々でこの記事を発表出来ない理由はそこにあるんだ。なので、特に10代・20代前半ファンの方は、この記事については楽しんでほしいと思いつつも、すぐ鵜呑みにはして欲しくない気持ちも、ちょっとあるんだ。
でも、誤りばかり恐れていては、いつまでも何も発表ができない。そこで長らく書きためていたこの記事を、「(仮)」をつけた暫定稿として発表して、皆さんからのツッコミを待とうと思ったのです。なので今回の記事については、特にコメント欄からのツッコミや、賛同や、証言をお待ちしています。もちろん全部読んで反映させようとしたら気が狂ってしまうので、そこは恣意的に切り落とすことはあるかもしれないけれど、是非ご協力願いたいのでございます。
では、お届けします。今年2月11日で「20周年イヤー」が終わる、デビュー以来ほぼノンストップで走り続けてきたバンド、バンプ・オブ・チキン。彼らが本当にすごいと言われる理由。その中でも、特に「斬新だった」「革新的だった」3つのポイントについて。そして、その背景について。
【要約】BUMP OF CHICKENのどこが「伝説」なのか?
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「天体観測」をヒットさせ、日本に「歌」主体のギターロックを取り戻した
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ロック音楽の歌詞に「物語」を取り入れ、現在のボカロカルチャーの基礎を作った
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プロモーションにインターネットを活用し、その最初の成功例となった
BUMPは、日本に「歌」主体のギターロックを取り戻した!
2001年3月14日、BUMP OF CHICKENはセカンドシングル「天体観測」をリリース。大阪のラジオ局の猛プッシュなどもあり、徐々に口コミで火が点き、最終的には50万枚超の大ヒット。バンドは社会現象を巻き起こしました。
BUMP OF CHICKENはなぜ「本当に凄い」のか?なぜバンプは「特別」な扱いをされるのか?
バンプがいなければ起きてない未来は、実はたくさんあります。その中でも世間に与えた一番のインパクトは、これだと断言できます。バンプは「天体観測」のヒットによって、日本に「歌を聴かせる」ロックミュージックを復活させたのです。
……そもそも「天体観測」がヒットしたのは、一体どのような時代だったのでしょうか?
90年代中盤、ロックミュージックの中心はMr.Children、スピッツ、ウルフルズなどのロックバンドでした。そして彼らの勢いがやや陰りをみせた97年から、日本のCD売上はピークを迎えます。GLAY、L’Arc〜en〜Cielといった、いわゆるヴィジュアル系のロックバンドが大ブームとなり、爆発的なセールスを記録したのです。一方で同時代、インディーズではHi-STANDARDなどのパンク・ロック、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのようなガレージロックが流行していました。
これら90年代末期に活躍したロックバンドには、実は大きな共通点があります。これらはいずれも「歌よりはリズム」重視で、歌詞をしっかり聴かせるタイプの音楽ではなかったのです。ひとつ付け加えれば、どのバンドも「歌詞がつまらなかった」わけでは決してありません。けれどどちらかといえば、歌詞の世界をしっかり届けるというよりも、音楽のグルーヴやリズム、肉体的なバンドサウンド……つまり演奏やパフォーマンスそのものを、より重要視していました。かつてMr.Childrenやスピッツが歌っていたような、日常から生まれる平易な言葉とセンスは、インディーズからも、ヒット・チャートからも失われていたのです。
そんな中、ほうき星のように現れた「天体観測」はーー歌詞がよく聴こえる、そして商業的な匂いからも縁遠い、「普段着」の若者が歌い上げた久々の「叙情的」な楽曲でした。気づけばヒット・チャートから長年消えていたーーMr.Childrenやスピッツに連なるような、そして紛れもなく新時代を感じさせる「歌を聴かせる」ロック・ミュージックが、「天体観測」によってこの国に戻って来たのです。タイアップもない、無名の22歳の若者たちのよるささやかなロックバンドの会心のヒットは、世間に世代交代を強く印象付けました。ですから当時のメディアは「天体観測」のヒットを、「王道ギターロックの復活」と表現して報じていたのです*1。
「天体観測」のヒットから2年後、パンク・ロックの流れを組みながらも「歌」と「歌詞」、そして「インディーズ性」の流れを見事に汲んだMONGOL800が記録的ヒットを飛ばしたことで、この新しいジャパン・ロックの流れは確立します。その後のASIAN KUNG-FU GENERATION、レミオロメン、ELLEGARDEN、そしてRADWIMPS……の活躍は、すべてBUMPのヒットがその先陣となったのです。BUMPがいなければ、KANA-BOONも、キュウソネコカミも、そもそも現在のロックカルチャーすらも……この国にはなかった「かも」しれないのです。
バンプは、ロック音楽の歌詞に「物語」を取り入れ、現在のボカロカルチャーの基礎を作った!
BUMP OF CHICKENのメンバーが多感な時期を過ごした90年代中盤は、若者のカルチャー(サブカルチャー)に大きな変化があった時代でもありました。
下北沢時代、そして「ガラスのブルース」を生んだ『FLAME VEIN』は素晴らしいアルバムですが、BUMP OF CHICKENが現在のBUMP OF CHICKENになったのは、ある意味、その次の(2枚目の)アルバム『THE LIVING DEAD』からです。このアルバムはすごく特異な作品です。収録されている全10曲が、まるで短編小説のような物語になっていたのです。
1曲目「Opening」の歌詞は、さながら登場人物のセリフのように書かれており、彼から「いくつかの物語」をプレゼントしてもらった、というテイでそれぞれのアルバム曲が展開します。ある収録曲の登場人物が、別の曲にも登場します。ふたりの男女のやりとりが、まるでセリフのように交互に歌われます。黒い猫が主人公——という絵本のような世界観で、とても残酷な物語が展開します。
この斬新な*2構成、そして描かれていた情熱的な物語が、あの当時の思春期の若者たちを魅了していったのです。
藤原は、なぜこのような曲が書けたのでしょうか?
藤原は当時のインタビューで、影響を受けた音楽は何だ、という質問に「ドラクエ(『ドラゴンクエスト』)のサントラ」と答えています。アルバム2曲目の由来となった「グングニル」は、『ファイナルファンタジー』に登場する召喚獣の武器から着想を得たそうです。ちょうどメンバーは小学生の頃にスーパーファミコン、高校生の頃にプレイステーションの発売を迎えています。メンバーが10代を過ごしたのは、正にテレビゲームの黄金時代……特に『ファイナルファンタジー7』のような、ドラマ性の色濃いRPGが大ヒットしていた頃でした。もちろん藤原たちも、大いにこれで遊んでいたといいます。
また1994年〜95年ごろは『週刊少年ジャンプ』の全盛期。雑誌発行部数の世界記録である653万部は、実はこの頃に記録しています。メンバーはデビュー後も毎週購読を欠かさなかったというほどの『ジャンプ』ファンで、2003年にバンドの成功を決定づけた『ONE PIECE』劇場版の主題歌(「sailing day」という曲です)オファーも受諾しています。また96年には、その後の日本のサブカルチャーを塗り替えることになるテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が放送開始。特に藤原がこれに強く影響を受けたようで、ヒロインの綾波レイと結婚したいあまりに(笑)「アルエ」という名曲を執筆(ベスト盤でも聴けるよ!)、そして10年後には『エヴァ』のリバイバルにインスパイアされ、幼い日を回想するような「R.I.P.」というシングル曲も書いているほどです。
つまり藤原が一番多感だった頃、周りには、こういった「若者」が熱狂する「物語」のようなものがゴロゴロしていたのです。サブカルを音楽性に取り入れたバンドは数あれど、それを完全に自分のものにした上で特有の「匂い」を引き剥がし、そして21世紀の若者の音楽としてそれを昇華させたのは、間違いなく藤原基央が先駆者でしょう。
音楽にサブカル的な「物語」を導入し、時にはキャラクターのセリフのように、ロック音楽としてストーリーを歌い上げる――。これは、現在のVOCALOID・ニコニコ動画的カルチャーの基礎中の基礎にあたります。音楽ライターの鹿野淳はある雑誌の中で、「BUMP OF CHICKENが居なければ今のVOCALOIDカルチャーはここまで成長しなかった」と断言していますが、これは私も同意します。ボカロP出身である米津玄師については語るまでもなく、supercellの「君の知らない物語」が「天体観測」の直接的影響を感じさせるように、HoneyWorksが「ロクベル」で「K」を翻案し、そして「ホーリーフラッグ」という大名曲で直接的かつ感動的にバンプリスペクトを捧げているように……様々なボカロ楽曲から、その影響がそこかしこに見られます(もちろん、全部ではないですよ!)。ですから、初音ミクがクリプトン社史上初となる公式コラボレーションの相手としてBUMP OF CHICKENを選んだのは、正に必然だったと言えるのです。
『THE LIVING DEAD』は、90年代カルチャーを飲み込みながらも現在に連なる「物語音楽」の礎となった名盤であり、その最初の成功例でもあり、また「VOCALOID」カルチャーの産みの親といえる、正に「歴史の証人」と呼べる存在なのです。
BUMPは、プロモーションにインターネットを活用し、その最初の成功例となった!
BUMP OF CHICKENは、最初のブレイク時、地上波テレビにはまったく出演しませんでした。特に、音楽番組で演奏する、ということはまったく行いませんでした。ミュージックステーションの初出演がブレイクから15年経過した2014年、紅白歌合戦出場が2015年だったことを考えれば、非常に長い間、彼らは地上波テレビから背を向けていたことになります。これは、いわゆる「バンプ的」ロックバンドに共通する(共通していた)、非常に大きな特徴でもあります。
とはいえ、テレビ番組に出ないのも、雑誌中心に露出するやり方も、特にバンプが初めてというわけではありません。しかし、そこに「インターネット」を取り入れ、それを積極的に活用したのは、間違いなくバンプがその最初の成功例なのです。
日本の一般家庭に「インターネット」が登場したのは1998年ごろ。1999年には人口普及率21.4%、翌2000年には37.1%に達しています。ADSL、iモード、2ちゃんねるが登場し、Google、Amazonが日本でサービスを開始させたのも、この頃です。バンプがCDデビューした時代、インターネットは日本の家庭に急速に普及してゆく、正に過渡期だったのです(そうそう、前述の「グングニル」というタイトルを曲名につけたとき、藤原は実母にお願いして、当時まだ普及し始めたばかりだったインターネットを使い「グングニル」の意味を調べてもらったとか)。
※Internet Archiveから引用。クリックすると引用元にジャンプします。2000年ごろのBUMP OF CHICKENのオフィシャル・ウェブサイト。
そんな時代、黎明期から作られていたBUMP OF CHICKENの公式サイトは「手作り感」に溢れていました。メンバーの絵や文字がふんだんに使われたデザイン、ユニークな言葉でトリビアも交えながら綴られていた年表欄、メンバー同士でやり取りされた交換日記のコーナー(イラストもそのまま掲載されていました)、そしてファンが自由に書き込める掲示板(あったんだよ!)。リニューアル後にはマネージャーの高橋ひろあきさんが記す「TAKAHASHI DIARY」が連載され、メンバーの素の姿をここでも楽しむことができました。
またインターネット上の露出にも非常に積極的でした。バンプ初期のライブは、当時としては珍しくネット生中継が試みられていたことを皮切りに、まだ新しいメディアだった「音楽情報サイト」でのインタビュー掲載(エキサイトミュージック、バークス等)、そして当時のエキサイトミュージックが連載を代行した全国ツアーブログ、そしてポンツカのネット配信……などなど、インターネットを使ったプロモーションを積極的に展開しました。かつて雑誌を購入しなければ手に入らなかったインタビューや、(radikoもないので)千葉まで行かないと聴けなかったレギュラーラジオ番組などが、インターネットから全て無料で楽しむことが出来たのです。お金のない10代・20代が、こうして浴びるように「バンプの情報」を手に入れることが出来たことは、どれだけ大きかったことでしょうか。
※Internet Archiveから引用。クリックすると引用元にジャンプします。BUMP OF CHICKENのファンサイトでは当時最大規模を誇った「vivid sky」(現在は閉鎖)。
そしてファンもまた、触発されたようにBUMP OF CHICKENのファンサイトを林立させていました。携帯電話からも簡単なウェブサイトが作れるようになっていた当時、様々な年齢層・立場のファンたちがバンプのサイトを競うように作っていたのです。当時のバンプには、「情報交換」するにはもってこいの要素で溢れていました。まずは何と言っても「隠しトラック」——ほぼ全てのCDに隠しトラックを入れるバンドは、後にも先にも間違いなく彼らだけーー情報。このシングルではこの曲が聞ける、プリギャップ(今は滅びてしまった、CDを巻き戻すと現れる特殊な隠しトラック)はこうして聞く……といった情報は、特にファンになりたての人々にとっては嬉しくて仕方がない情報でした。そして「ニケ」「ホッセ」「ポキール」などといった、あまりにも特殊なバンドの「用語解説」! メンバー4人の中だけで広がっていた「マイブーム」な言葉たちが、一方でバンドのパブリックな活動においても露出していた時代でした。よくわからない言葉は、「さらに詳しいバンプファンに聞」けばいい。そういうとき、ファンサイトによく存在していた「用語解説」は、本当に楽しい読み物コンテンツのひとつとして機能していたのです。
そして、何よりも「掲示板」カルチャーです。露出が少ない彼らの情報を共有し、ライブレポをやり取りし、(ファンクラブが無いこのバンドにおいては死活問題である)チケット先行情報を手に入れ、さらにバンプに「よく似た」バンドも調べ尽くす……。あげくには歌詞を読み解く掲示板、果ては自作の詩を投稿する掲示板までもが(ギャー!)そこかしこに建てられていました。ファンサイトにあった掲示板は、バンプの、そして当時のロックバンド情報を、そして思春期の創造をもやり取りする、最もホットな場所だったのです。
これは記録が残っていない筆者の「実感」なのですが、2003年当時、インターネットで隆盛を極めていたファンサイトって、だいたいミスチルか、スピッツか、バンプだったように思います。その中で言えば、バンプは圧倒的に若い存在でした。これは非常に際立っていたと思います。
もうひとつあります。2002年から2004年ごろにかけて、インターネットでは「FLASH」アニメーションが大流行していました。
FLASHアニメーションは、まだ回線が脆弱な当時のインターネットにおいて、軽量なサイズで(当時としては)高音質なmp3音源とアニメーションを同時に再生することができる、マルチメディアに特化した最先端の技術でした。まだ文字や、画像すらも少々ロードに手間取っていた時代に、動きがあるアニメーションを……しかも音付きで楽しめたことは、正に衝撃といってよいほどの革命だったのです。これを作ることもまた簡単だったことから、様々なアマチュア・アーティストが、BUMP OF CHICKENの音楽を使って自分の「アニメーション」を発表しました。物語カラーが強く、誰もが映像を思い浮かべることができる音楽……彼らの当時としては「特殊な」楽曲性が、ここでも強みを発揮したのです。一度インターネットにアップしてしまえば、誰でも簡単にダウンロードしたり、転載して自分の「FLASH倉庫」に再アップすることも出来ました。そうしてまた無限に広がり、「私もこの音楽にアニメをつけてみたい」と思わせる……誰もが絵をつけたくなる、アニメーションをつけたくなる音楽、それがバンプだったのです。
このことは、少々「正の歴史」として取り上げるには躊躇してしまう部分があります。いうまでもなく、CD音源のやり取りは当時でも違法なことでした。けれどこのルートでもまた、ましてやロックファンではない(重要!)、出てきたばかりのインターネットを凄まじい好奇心で泳いでいた少年・少女たちに、BUMP OF CHICKENの音楽へ触れる機会を与えたのです。彼らはやがてファンに成長し、テレビにも出ないのに20代以上へ圧倒的な知名度を(未だに)広げ、そしてちょっとファンを卒業した今でも、どこか不思議な親近感を感じさせるのは、このころのバンプのイメージがあることは紛れも無い事実でしょう。インタビューなどのコンテンツだけでなく、彼らの音楽そのものすらも、インターネットでは「無料で」聴くことができた……シングル曲はYouTubeに丸々無料でアップする、今の音楽業界のプロモーションを、バンプは(皮肉にも)10年以上先取りしていたわけです。
単に「テレビに出ない」だけでなく、新しいメディアだったインターネットを遊び心と共に有効活用した。そして彼らが想像もしなかった展開すら楽しみ、時代も味方していった……。バンプ・オブ・チキンは、まさに初期インターネット時代が生んだ、その申し子と言える存在なのです。
……ツッコミ、賛同、証言、お待ちしています!(20周年ライブのブルーレイ、おすすめ!)